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マルクスに対するゆとりニートの暴言~利潤率が低下したっていいじゃない

いきなりだが、私は経済学者のマルクスがあまり好きではない。そもそも経済学者として認めていいかどうか怪しい。
個人的には、彼はどちらかというと思想・哲学者ではないかと思っている。
実際、彼はヘーゲルという哲学者の影響を受けているし、最初から経済学を専門にしていた人ではない。
数学者や物理学者ではなく、完全に文系の人である。
(このぐらいの内容は、wikipediaレベルでも普通に載っている)
そのため、経済学の特に理論系を真面目にやっている人ほど、彼のことがあまり好きではないと思う。
頭のいい人ならマルクスの考えの穴を咎めるのは簡単だし、現在ではその意味を失いかけている。

そもそも、彼は労働者が「搾取」されているという実態というか価値観に基づいてものを考えている。
要するに非常に悲観的な前提でものを考えている。
だから出てくる結論が悲惨なものであってもそれは当然である。最初からネガティブに考えているのだから。
ということは、単なる「価値観」を導出しただけであって、それが「事実」かどうかは検証しない限り分からない。

しかも歴史の事実を見る限り、マルクスの考え(具体的には資本主義崩壊から社会主義への発展段階など)は今のところ、外れている。
ソ連などの社会主義系は結局は崩壊したし、必ずしもうまくいっていない。
現在、世界的不況ではあるが、サブプライムなどの金融の失敗が響いているだけであり、別にマルクス的な文脈での崩壊とは無関係に思える。

さらに言えば日本の経済学の研究はこのマルクスのせいで遅れたとも言われている。
(グーグルで「日本の経済学 マルクス」と検索するとそういう内容がヒットする)

また、マルクス主義は日本の学生運動における拠り所だったという事情もある。
そんなおバカさんなことをずっとやっていたから、いつまでも学問が進まなかった(苦笑)。


だが、そうは言っても全ては否定していない。思想の自由ぐらいは認めてもいいと思う。
それに、さんざんコケにしてきたが、マルクスはたまに面白いことも言っている。批判されながらも、悪魔の囁きのような説得力もある。

それが利益率がだんだん低下していくという以下の議論だ。



彼によると、利潤率rはM/(C+V)と表現される。
は剰余価値、は不変資本(機械などのこと)、は可変資本(労働力のこと)である。

まぁMの剰余価値が「既に現実的ではない」あるいは「好きではない」という人もおられるだろう。
因みに「剰余価値って何?」って人はググったり『資本論』を読んだりして欲しい。
簡単に言うと労働者が「搾取」されている部分を示すと言われていて、ここだけでも色んな議論があるのだが、ここでは割愛する。

で、上式を変形すると(分母も分子もVで割ると)、r=(M/V)/(C/V+1)となる。
このうちのM/Vを剰余価値率、C/Vを資本の有機的構成比率という。

それでマルクスいわく、社会が発展すると、このうちのC/Vの部分(資本の有機的構成比率)が大きくなる
どんな産業でも成熟してくると機械化が進むため、だんだんV(労働力)の資本よりもC(機械)の資本の方が
相対的に大きくなっていくと考えられる
からだ。
そうなると、上式を見ての通り、分母の部分が大きくなっていくため、M/V一定なら、全体のrは小さくなる。
要するに機械化によって社会が高度になると、利潤率が落ちていくということである。

そうするとどんな産業でも、頑張っても儲からないビジネスにだんだんなっていくため、
失業が発生し、やがて資本主義は崩壊することになる。

非常にシュールだが、簡単にいうと上記のようなことを彼は言っている。



上の議論は、ちょっと頭のいい人なら疑問に思うはずだ。
まず、上で触れた通り、「剰余価値とかいう考えが既に現実に則っていないのでは?」とつっこめるだろう。
これは要するにモデルの前提そのものを咎める類の論駁である。

それ以外に考えられるのは、「何故M/V(剰余価値率)が一定だと言い切れるのか」という点であろう。
この値も動くのなら、r(利潤率)が低下するとは限らないのだから、資本主義は存続可能である。
ここも論争の元になりそうなポイントで、wikipediaの利潤率の傾向的低下の法則などを読むといろいろ出てくる。



しかし、私はまったく別のことを考えていて、基本的に利潤率が傾向として低下していくことは素直に認めている。
別にマルクスの文脈でなくても説明できるかもしれないが、とにかく利潤率低下は傾向としてはアリだと思っている。

違うのはそれに対して楽観的だという点である。
つまりマルクスはみんなが失業して崩壊というような感じで、基本的には悲観的な側面がある。
だが私は、これは働かなくても生きていける社会がやってくることを意味しているのではないか、と楽観的に捉えている。
何故なら全てが機械化して高度化した社会なら、もはや人をこき使う必要はないし、利潤が出なくても生活できそうだからだ。

しばしば機械化すると雇用がなくなると嘆かれるが、別にそれ自体は悪いことではない。
人が苦労しないですむようになるのだから、普通に考えればこれは立派な成長であろう。

もちろん仕事がなくて金もモノもないなら悲劇だし、立派な社会問題だ。
だが、十分に金もモノも充足された状態で仕事がないことを嘆くのは愚かである。
非自発的な失業は問題だが、自発的な失業なら、単なる個人の選択である。

利潤率が低下するぐらいの社会になれば、ほとんどがオートメーション化しているのだから、モノが既に十分にあふれているはずである。
にもかかわらず、まだ雇用というものがあるべきだと考えているのはおかしい。

だいたいマルクス系の授業はおかしい。ある教授は以下のようなことを言っていた。
「今は車が売れない。もうほとんどの人が車を持っているから伸び悩んでいる。そうすると自動車関係は失業が発生して悲惨だろう。」
一見すると正論で誠実だが、私にとってはおかしい。
何故なら既にほとんどの人が持っているものを売っても売れないのは当然であり、これは悲劇でも何でもないからである。
しかもほとんどの人が持っているのだから、車がなくて困っている人はほとんどいないともいえる。
(後はせいぜい車のメンテナンスぐらいだろう)
要するに売れないものを売れないといつまでも嘆いていてもバカだということだ。
しかもこの場合はもうみんな車を持っているわけだから、既にみんなハッピーなわけで問題はないではないか。
既に幸せなものに無理に付加価値を見出す必要はない別のまだ幸せではない産業を探せばいいだけの話である。

そういう意味で、もしかしたら、マルクスはみんなニートでも生きられる社会を見据えていたのかもしれない。
機械が勝手にモノを充足し、我々は最低限の管理だけでまったり暮らす。
そうなるのなら、別に無理に利潤率を追究することはないし、利潤率低下による失業を嘆く必要もない。
だって儲けなくても遊んで暮らせるのだから。

後はせいぜい分配の問題があるぐらいで、それを社会保障で補えばよい。
実際、社会保障をどうするかは既に先進国の一つの課題になっている。
また、(特に日本の場合)少子高齢化の傾向があるので、あからさまに「成長しよう!」という価値観は薄れ、
「どうすれば持続可能か」という考え方にシフトしてきている。

そういうわけで、ゆとり世代を代表して
「利潤率が低下したっていいじゃない」という暴言を提唱したい。
この言葉は我々の下の世代で流行ると思う。
失業率100%でフル・オートメーション――そんな時代を私は密かに夢想している。
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人生の様々なことで悩んでいるかもしれない人へ

現代社会には何かを頑張らなくてはならないという風潮がある。
私もそれで精神的な危機というか軽い鬱状態を何度も経験している。
しかし結論から言うと、実際には何もしなくても生きていくこと自体は可能である。
少なくとも私は生きている。まぁ家庭の財産に頼っているところもあるので、手放しに正当化することはできないのだが。
とはいえ、頑張ることで疲れている人や、履歴書などを書く際に「私には何もとりえがない」と悩んでいる人には、いろいろなことを言える。
視野が広がる面もあるかもしれないので、以下の文を読んでブレイクした方がいい。皮肉が多過ぎて余計疲れるかもしれないけど(苦笑)。

つまりこうである。
思うに、社会が何かを頑張ることを要求するのは、そうすることで人々が絶えず働き続ける(*1)ことが可能になるからである。
すなわち、良くも悪くも社会を存続(*2)させるということが最初の前提になっているため、
それを達成するために「頑張ることはよいこと」というある種のステータスを作る必要があるわけである。
ただそれだけで、別に深い意味や崇高な義務(*3)が存在するわけではない。

これは当たり前のことで、もし「頑張らなくてもいいよ」ということを親や先生、国家などが認めてしまうと、
ほとんどの人間が働かなくなってしまうおそれがある。
それでは社会(国家)の存続が事実上、不可能になり、組織は破綻する。
また、家庭レベルでみても、現実的に働かないとお金がないという人が大多数なので、
必然的に意味も分からず「何かに夢中にならなくてはならない」というステータスが必要になる。
「そう思わないとやってられない」というところもあるのだろう。
会社も同じで、「頑張らなくてもいいよ」で生産性を上げるのは容易ではない。
やはり何かを頑張っている人の方が堪え性があるという傾向があるため、結果として趣味や特技にそういった趣旨のものを求める風潮になる。


だが今この文を読んでいるあなたは、少なくとも精神的には、そこから解放される。
私の文でだいたいの全体像を掴めたあなたは、もはやそんなくだらない「社会の存続」という命題一つのために、
自分の人生が支配されるのは嫌だと感じてくるからである(*4)。

無論、変えられない現実が目の前にはいろいろあるが、
そんな社会の仕組みが糞みたいなゲームに過ぎないということが超越的な視点では分かる(*5)。

そこには知る喜びがまだあるのではなかろうか。

かの生きる伝説のニート、ニートスズキは次のようなことを言っている(詳しくはこちら)。
みんな心にニートを持つべき
実際にニートになる、ならないは別として、心にはそういうゆとりを持っておけ、ということである。

残念ながらこのような小さなブログでは、浮世離れしたことをのたまったところで、社会に訴える効果は小さい。微々たるものである。
はっきり言って私は何一つ建設的な解決方法を有しておらず、淡々と全体の現状を述べることしかできない。
私は生きるが君達は死んでいる。そのことも素直に言っておく。

ただ、「何か日本(この世)は変だ」と思っている人は非常に本能が鋭い人である。
何も変えてやることはできないが、同意はする。「同じことを考えている人はいるんだよ」というフォローならできる。
強いていえば「死なない程度に何かを継続する術を覚えよう」というところであろうか。

無責任ではあるが、「いい待遇だ」と言って雇ってから人を裏切るブラック業界に比べれば、私の方が真実を連ねている。
私はあなた達を救わないが、その代わり薄汚い宗教法人のような「信じる者は救われる」という甘い言葉も囁かない。
ただ、真の姿をつきつけ、各自の意向を問うのみである。

この文を読むことで少しでも自殺や他殺の衝動などが抑えられれば、それだけでも社会の厚生は上がることになるだろうと思い、一応、書いてみた。
誠に人生とは馬鹿馬鹿しいゲームである。



*1…たとえば国の借金の問題もそうで、借金を返すためには究極的にはある程度は成長する必要がある(≒頑張る必要がある)。
  成長力が増える利息のスピードを上回っていないと借金が増え続けてしまい、破綻に向かってしまうからである。
  もちろんインフレを起こしたり税率を上げたり支出をカットしたりという対策もあるが、いずれも副作用がある。
  従って、最近、あるテレビ番組で左翼系が「成長がなくても生きていける社会に」という頭の中がお花畑のようなことを言っていたが、
  これは不可能とまでは言わないが、簡単にできることではない。
  やはり最終的には実質的な成長がカギになっているという事実は今後の経済(景気)においても変わらない。
  そういう意味では金を借りて後で増やして返すという金融の発想を採り入れて以来、人々は永遠に成長し続けなければならない状態になっている。
  成長は基本的には素晴らしいことだが、「たまには休みたい」という願望も黙殺している。
  さらに言えば過度な借金はツケを下の世代に回しているだけであり、そもそも計画性がない。

*2…因みになぜ社会を存続させる必要があるのかと言われると私も困る。それはもう「なぜ生きるのか」と聞いていることに等しいからである。
  そうなってしまうと哲学になってしまう。というわけでそこはその筋の専門家に聞いてください。
  この問題は数学でいうなら公理公準に近いもので、証明できる類のものではない。

*3…プロテスタント的な宗教倫理観などが西欧にはあると反論する啓蒙者がいるかもしれないが、それでさえ近代になって、
  人為的に創られた概念でしかないということも断っておきたい。
  さらに言えばその宗教観をすべての人が持っているわけでもないので、
  それを主張するためには、これから先、日本人がそれを持つようになる説得的な根拠を示す必要がある。
  宗教観による解決は理想論で留まっているように見える。

*4…趣旨に矛盾するが、逆にまったく社会の実態に気づかないまま、踊らされて死ぬというのも一考かもしれない。
  裸の王様として一生を終えれば、本人の中では幸せだからである。
  実は社会を存続させるためにはこのような愚か者がいる。たとえばギャンブルやFXも負ける人がいないと成立しない。
  だが、情報がすぐにネットなどで漏れ、次々にずさんな実態がリークされる今日、
  どんな愚か者でも騙され続けるのはかえって難しくなっていくのではないだろうか。

*5…たとえば将棋を指したいという人はいるかもしれないが、自分が将棋の駒になりたいという人はほとんどいない。
  いたとしても、たいていは、たとえ話か冗談であろう。
  そういう意味で、わざわざ捨て駒になる雇われは妥協の産物である。
  私は雇用者には頭が上がらない。彼らが悟って辞めてしまったら経営者は焦る。私も焦る。

ニートスズキの思想~「俺的三大ハルヒ」

引き続き、ニートスズキの思想をまとめる。今回はニコニコの「俺的三大ハルヒ」という動画をまとめてみたい。
本動画で、彼は、「お前がハルヒ(※1)のSOS団のTシャツを着るのはふさわしくない」という意見に反論している。
以下、その内容を列挙していく。

※1…『涼宮ハルヒの憂鬱』をはじめとする、涼宮ハルヒシリーズのこと。谷川流による日本のライトノベル。
   アニオタの基礎教養なので、知らない人はググってwikipediaなどを読んでください。

・まず、「好きでハルヒを読んで好きで着ているだけだからありだと思う」と反論

・次に、「ハルヒは現実でいうなら外山恒一・ホリエモン・藤崎瑞希のような奴だから、私がハルヒの格好をするのはむしろ整合的」と主張

いわく、「フィクションというデコレーションを取り払い、具現化したハルヒは上記の3人に近い」。
実際、作品内でキョンが20歳以降もハルヒ的では引くと言っており、上記3人の行いはそのハルヒに近い。
ゆえに、ニートスズキがハルヒTシャツを着ることを批判する者は、ハルヒを誤解していると言うのだ。

もし、OLとして普通に働いていたり、男あさりに精を出していたりする子だったら、それはもうハルヒではない」と主張。
また、「タイムトラベルの基礎理論を考えたのがハルヒなので(要出典)、彼女は学者肌」とも主張。

※「そこに触れないで、キョンとくっつくハッピーエンドもあるかもしれないが」とも言っている

ハルヒは普通に働ける感じの子ではない。孤立しているタイプ。
 普通の仕事やバイトだとすぐ辞めそうな感じ。輪に入っていく感じはしない。


・その後、ハルヒが何故か高校に入ると一人、彼氏(古泉)を持つようになったことについて言及(おそらく『消失』での話)。
 但し、これに関しては、長門がトレースした世界だからではないかとリスナーが批判している。
 このあたりは原作を読んで、各自で解釈していただきたい。

・最後に、「外山恒一のような色物は九州ではなく、都会に行った方が可能性があるのではないか」と言っている。
 これは私も同意する。人口が多い都会の方が、様々な人がいるため、寛容な価値観を持っている。
 地方は閉鎖的で先進性もなく、つまらない。

ニートスズキの思想~「日本ニートイヒ計画」

引き続き、ニートスズキの思想をまとめる。今回はニコニコの「日本ニートイヒ計画」という動画をまとめてみたい。
この動画で彼は「日本ニート化計画」という怪しげな計画を立案していきたいと表明している。
以下、その具体的な内容を列挙していく。


・まず、彼は、学生も、将来の夢を聞かれている時点で、ニートのようなものだと説く。
 厳密な定義は異なるが、まだ何者にもなっていないという意味で、ニートと学生は実は似た者どうしなのだ。

・彼の将来の夢は総理大臣と宇宙飛行士になること。あわせて宇宙大統領になりたいらしい。
 自称大器晩成型。ポジティブすぎてびっくり(・・;)。

※因みに、一般的な「野球選手になりたい」「サッカー選手になりたい」などは曖昧らしい。
 「イチローのようになりたい」など具体性があった方がいいそうだ。
 また、野球やサッカーの場合、30か40ぐらいまでしかできないので、その後の人生も考えておいた方がいいそうな。


・次に、「みんな心にニートを持つべき」と説く。
 実際にニートになる、ならないは別として、心にニートを持てば、ギスギスしないので、豊かな人生に繋がる

・ニートになるのは意外と難しい。収入源がないからである。
 金もないし彼女もできないため、実は非常にストイックな世界である(不利な要素もある)。
 ニートは戒律が厳しい。それゆえ、みんながニートになることはできない

・しかし前述した通り、心のどこかにニートのような余裕を持つことはできる。
 そうすればストレスがたまらないので長生きできる。ニートはなごみ系なのである。

※「誰か養ってくれる美(少)女いないかな~


・伊集院が深夜ラジオができるのは子供がおらず、童貞心を失っていないからである。
 赤ちゃんができてしまったらもうエロくないちょっと引いてしまう
 (後の話から察するに、それでは普通にいい話になって物語が終わってしまうので、面白くないということだと思う)

・ラブコメは結婚と別離という2つの不確定(不安)要素がある。
 ニート的には、結婚はネオニートで、別離は脱ニートである。
 この2つはニートを壊してしまうもので、カッコ悪い。一種のパラダイムシフトのようなもので変わってしまう。
 なのでラブコメの世界でこの2つを安易に行ってはならない。
 アイドルが恋愛してはいけないのと同じことで、タブーなのだ。
 それは、これらを安易にやってしまうと話が終わってしまうからであろう。彼は「幸せが閉じている」と表現している。
 そのため、ラブコメはつかず離れずをずっと続けるべきなのだ。
 同様にニートも、働きたいような気持ちをずっと押しとどめているわけであり、そこが素敵なのだ。


不幸なところやカッコ悪いところを見せるから面白いのに、分かっていない人がいる。
 たとえば、もしニートスズキがものすごい幸せだったら誰も彼を見ない。面白くないからである。
 
・アフィリエイトの本に書かれているように、いいところだけでなく、悪いところも強調せよ
 「悪いところを出すことで、いいところも出てしまうのだ
  悪いところだけ見せれば、褒めるところも必ず出てくる
  酷いから見せられないといっていては何もできない。
  結局、見せるか見せないかしかないのだ。
  素晴らしいか恥ずかしいかは『個性』である。

 全体的に、お笑い芸人の思想に近いと思う。
 彼らもあえて不細工なところを見せつけることによって、それを笑いに変えようとしている。
 カッコつけていてはダメなのだ。それでは面白くないからである。

 「働け、このブタ」と安易に言ってしまったら、幸せが閉じてしまう。その言葉は人生のオチまでとっておかなければならない。
プロフィール

赤目無冠(あかめむかん)

Author:赤目無冠(あかめむかん)
アニメ・漫画、将棋・麻雀、音楽(ベース、作曲、DTM)、ギャンブル(競馬・競艇)、適当英語、思想など内容は多岐に渡る。
みなみけのHPhttp://2nd.geocities.jp/tkya42/index.htmlもよろしく。
気軽にコメントしてね。
好きな将棋棋士は森内、広瀬。
邦楽はスピッツ。

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